僕らはどうして英語を勉強するんだろう?
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最近、アメリカ・トランプ大統領の脱税疑惑などのニュースが世間を騒がせていました。
一国の大統領ともあろう人がなどと、いろんな受け取り方をされる方もいると思いますが、近年のメディアの発達で、そうした海外のニュースをFacebookやTwitterなどのSNSでも見かけるようになりました。
当然タイムラインに流れてくるのは海外のキャスターの英語での報道です。
親切にも、多くの海外ニュースでは日本語字幕があったりすることが多いですよね。
でも僕ら日本人の多くが、中学校から(早い人は小学生から)英語学習を始めているにも関わらず、英語を「話せない」と思い込んでいる方がとっても多いように感じます。
(この点に関しては、また僕なりの解を書いてみたいと思います)
もっと極論を言うと、僕らはどうして英語を勉強しないといけなのでしょうか?
日本は、島国で四方を海に囲まれていて、ずっと日本の外から出なければ日本語だけでも生活は十分にできますよね。
「そんなもん、国が英語を勉強しろって決めたんだから仕方ないだろ」
確かに国策の一つとして近年は、小学生の早い段階から英語学習の必要性を問われていますよね。
子供英会話のスクールも、愛媛県でも最近は多くみられるようになってきました。
僕も1年間ほど、そうした地元の英会話スクールで講師兼事務スタッフとして働いていた経験がありますが、時代の流れからか「うちの子にも英語を話せるようになってほしいんです」という親御さんの切なる願いの元、たくさん訪問されていました。
英語は確かに使えると便利です。
仕事の選択肢が広がるとか、世界中の人と友達になれるとかメリットもきっとたくさんありますよね。
でも僕は、英語も、スポーツも、芸術も、好きならやればいいし嫌いなら別にやらなくてもいいよねっていう考え方です。
「海外では複数の言語をしゃべれることがスタンダードで、英語はマストだ」っていう人もいると思いますが、それは海外の地形の関係(陸続きで隣国との共通言語が英語のみ)や、職探しの面で英語が話せないと仕事がないという背景も踏まえる必要があると思います。
日本もグローバル化の流れにのって、やれ海外進出だの、「学生のうちは海外の世界も見ておいたほうがいいよ」など、いろんな言葉が飛び交っていますよね。
でも別に英語が使えなくても、またテクノロジーの力が加わらなくても、素晴らしい伝統工芸や世界に惚れる農林漁業は、日本にまだまだたくさんありますし、そうした人たちによって、僕たちの生活は支えられています。
自由で多様なメディア媒体の誕生や、急速なIT化によって、
「僕も、私も将来は海外の進んだ先進技術を取り入れた開発や、かっこいい仕事をしたい、海外で活躍したい」
などの声がこれからますます増えることも考えられます。
他方、20世紀以前の日本の原風景を残している風土をもったような土地で育ち、またそうした日本の伝統産業に多く触れてきた自分としては、そうした日本の土台となってきた産業も、特にこれから世代の若者には、ないがしろにしてほしくないなと思ったりしています。
英語学習の必要性が問われる中で、世界がグッと身近になっている今だからこそ、「世界から見た日本」の伝統や風情を、今一度学習し直す瞬間も、ひょっとしたら必要なのではないでしょうか?
その先で、自分が海外への発信者として語学を学習して活躍したいという希望を持つか、国内の現場でどっぷりつかって仕事をしたいなのか、そこの選択まで追求できるといいんじゃないかなと思ったりもしてます。
今日はそんなことを考えたり。