大学生が国連や世界のことを考えることの重要性について。
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昨日のこと。
現在在学中の大学で、国連大学学長兼国連事務次長でもあるデイビットマローン氏を招いての講演会が執り行われました。
普段の学生生活の中で、国連や世界の情勢について考える機会が少ない学生にとっては
その最前線で解決にあたっている方のお話しは、大変興味深いものがあったのではないかと思います。
今回は、昨日のご講演を含め、感じたこと、大学生のうちに身に着けておきたい素性などを僕なりの解釈で書いてみたいと思います。
すべて英語で開催された講演会
はじめに、マローン氏のプロフィールはこちらです。
一部抜粋のカタチではありますが、「日本語ってこんなに難しかったっけ?」と感じてしまうほど、漢字とカタカナが並んでいました。
そんな素晴らしい方をお招きしての講演会でしたが、すべて英語で行われました。
かなり専門的な内容も多く、理解が難しいところもありましたが大変勉強になりました。
僕はこの講演会の前に、学内の教授からのお誘いでマロニー氏を招いてのランチ会にご一緒させていただきました。
個人的に、最近気になっていたニュースとしてトランプ政権の現状とブラジルの直近の選挙で当選した極右派のボルソナロ氏(銃の所持を合法化させようとしているなど)の例を引き合いに出し、「力が支配する世界」に海外のトレンドがシフトしてきているのではないか?その先の民主主義の在り方についてなど、今後の展望をお聞きしました。
一大学生の質問ではありましたが、真摯にアジアの新興国での例も引き合いに出しながら丁寧にご説明いただいたのは、光栄でした。
マロニー氏の見解としては、あくまで一過性のものにすぎないだろうという見解でしたが、緊張体制はしばらく続く可能性も大いに秘めているとの回答でした。
きっと知らなくてもいいこと、でも知っておいたほうがいい世界もきっとある。
僕は毎日朝の新聞をチェックすることを日課にしています。
もちろん、日経の電子版やNews Picksなどデバイスベースで完結するニュース情報もありますが、個人的にはやっぱり紙面を広げてニュースを読むのが好きです。
しかし、そんな風に経済欄や行政の面にも目を配るようになったのは、アジアの学生と世界の抱える問題についてディスカッションをする機会に何度か顔を出していた経験があったからです。
4年前の同志社大学、3年前のマレーシアのTaylor's Universityでの学生カンファレンスに参加したときのことです。
それぞれ太陽光エネルギーの効率化と、世界の貧困問題についてアジア各国の学生とチームを編成して議論する機会がありました。
当然ながら、すべて英語でディスカッションは進行します。
当時の僕は、自分の語学力にあまり自信がなく、他のアジアの学生たちのディスカッションにうまく入ることができませんでした。
それは、他のグループで参加していた日本人学生にも似たような様子が見られました。
当時の僕からすると、「自分の英語力が乏しいから、ディスカッションに加わることも難しい」という、半ば逃げるような感覚を持っていました。
しかしその後、アメリカに渡米し1年間現地での勤務を経験するなかで自分の考えと異なる真理の一端を感ずることがありました。
当然、英語を使て仕事をしていたのでほっといても語学力は上がります。
基本的なコミュニケーションに問題はなくなってきたころ、米国人や南米人などから政治や人種、宗教の質問などをされたとき、うまく回答できない自分と何度も向き合いました。
その質問を投げかけてくれるのは、僕より年配の方だけでなく同世代の今風の女の子や男の子からも受けたことがありました。
それは、僕が3年前にマレーシアで見た景色とほとんど変わりませんでした。
変わっていないのは、自分だけだと感じました。
当時、「自分は英語力が乏しいから」と避けてきたそうしたコミュニケーションの場ですが、語学力がついてもなお参加できていない自分を情けなくなると同時に、「知ろうとする境界線のレベルが全く違う」ことにも気が付きました。
これは、多くの日本人にも言えることかもしれませんが、自分達の普段の生活の中で意識しなくても何の問題もない政治や宗教の話題が、アジアの学生や欧米の人たちにとっては身近過ぎるというリアルです。
「きっと知らなくても大丈夫」
その世界に安住している我々の生活は、これから10年20年は大きな障害もなく営まれるかもしれません。
しかし今、世界はものすごいスピードで変わっているのも事実です。
その世界と、世界中の人といつか対峙しなければならないかもしれない、それが明日かもしれない読めない未来に対して、「知ること、興味をもつこと」のハードルを下げる必要が、特に大学生のような若い世代の人には必要なことなのではと最近特に感じます。
アジアの学生何人もと話してみた経験としては、日本人が一般的に抱いている途上国や経済的に日本より豊かではないと考えている学生の方が、日本人よりはるかに知識や技術力、コミュニケーション能力も含めて卓越している学生が多い印象です。
日本でも、今後「新卒一括採用」のような社会人になったら一斉によーいドンっの環境から、能力主義の人間、個人の勝つ時代がやってくると思います。
そうなったとき、優秀なアジア各国の学生に仕事を取られるリスクも十二分にあります。
マロニー氏の講話を聴いてなお、楽観視できない日本のミライについて改めて再考せざるを得ないと考えさせられた時間でした。
今日はこんなことを考えたり。