「根拠のない自信を持つこと」の背後にあるもの。
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東京での「内定者研修」へ行ってきました。
面談やら内定式やらあるたびに毎度毎度東京に出向いていたため、最初は億劫だった東京の満員電車や人混みにも次第に慣れ、山手線以外の電車も少しずつ理解できるようになってきました。(今更感)
ちなみに僕の同期は200人強ほど。
会場に着いても、「人が多いなぁ」という感情くらいしか相変わらず抱けない僕ですが、中四国・九州で採用されたいわゆる「地方組」は、10名ほどしかいないということで、改めて地方組の少なさを実感した次第でした。
内定者研修の様子や内容については、オフレコの部分も多かったため、ここでは書けないことばかりなのですが、個人的にグッときた部分だけ抜粋して、僕の拡大解釈も踏まえて書いてみたいと思います。
「根拠のない自信を持て」
この言葉の前後の文脈については、詳細を書けないのですが(すいません)、個人的にはかなり響いた言葉でした。
就活という現場では、「これまでの活動や実績」を中心に、掘り下げて「なぜ?」や「どうやって?」などの行動ベースに至るまで分解されることが、特に面接のシーンなどでは多いと思います。
大学生という、「なんにでもなれる・できる」時間は、様々な働き方がある現代で一概には言えませんが、マス目線で考えると働き始めてからは取り戻すことができない瞬間かもしれません。
その、ある種「自由」が確約されたような環境下で「自らの手で世の中を良くしたい」や「達成したい目標や大志がある」という人は、正直変態だと思います。
別に1日Netflix見ながらゴロゴロしてても、スマホゲームずっとやっててもいいわけです。
そんな数ある選択肢の中で、世の中の不条理や負を解決したいと考える人の、「行動」の源泉はなんなのかと、ふと考えていました。
ぶっちゃけ、考えることは誰にでもできます。
僕が今回言いたいのは、達成したい目標に対して「考えも持つこと」ではなく「アクションを起こす人」についてです。
実際に「アクション」に起こせる人。
ここで僕が考えることが、「根拠のない自信を持っている人」です。
しかし、全く泳げない人が突然「ひょっとしたらトライアスロンを完走できるかもしれない」と命のリスクをとる人は、まずいないと思います。
僕がいう、根拠のない自信とは、
「(経験を基にした)根拠のない自信」
です。
みんな何かしらリサーチして可能性を感じたり、エモい感情が自分を駆り立てたり、実現したい世界観を抱いて、アクションに移すと思うのですが、その背後ないし文脈の前後には必ず自分の「経験則」が無意識に関与していると思うんです。
「Aさんは、なんでもできてすごい。僕・私には真似できない」という人もいると思うんですけど、きっとそのAさんにはそれを実現しうるだけの過去の成功や失敗、辛いこともたくさんあったはずなんです。
つまりそれだけ「量」をこなしてきてる結果だと思うんです。
『「量」」より「質」だ!』という考えももちろんあると思うんですが、質もやっぱりこなした数量を持ってして磨かれるものではないでしょうか。
それが、「この領域・アイデアなら自分でもできるかもしれない」という自信を自然と湧き立たせる源泉になるものだと考えています。
不安や悩みを吹っ飛ばす最良の薬は、「自信を持つこと」だと僕は思います。
きっと企業に就職すると、はじめてのことばかりで、「これでいいのかな?」と不安に感じることも最初の頃は連続して発生すると思います。
ですが、助けてくれる上司や先輩は必ずいるはずです。
そのフォローアップしてくれる人たちの「お前はどうしたい?」の問いに、
「僕は〇〇というアクションを起こしたいと考えています。理由は〇〇で、その結果こんなリアクションが得られると自分は仮説立てているからです」
しっかりと自分の意志と自分の言葉を持って、局面を打開する。
聞こえはシンプルですが、仮説立てるにもその仮説の根拠と立証できる自信が必要です。
そこには必ず、学生時代の経験が活きてくる瞬間がきっとあるはずです。
「根拠のない自信を持て」
今回の内定者研修は、そんな文脈の背後を考えさせられた時間でした。
おしまい。